2005/01/22
何故か新潟の長岡に??
さまざまな思いを抱えながら毎年迎えている117。。。
テレビをかければ思い出したくない光景を目にしてしまう?
その度に涙が止まらない・・・
復興 街の復興は予想以上に早かったが 心は置き去り
早10年
10年の成果がどのように新潟で生かされてきたのか
どうしてもこの目で確かめたく
山古志村の仮設住宅へボランティア!!
ふみちゃん自身も避難所生活から仮設住宅へ
長岡に設置された仮設住宅を見て
阪神大震災当時の光景が走馬灯のように流れてきていた
雪で覆われた仮設住宅は
真っ白な羽衣を被ったように見え
これから何色に変化していくのだろうと
未来を描きたくなっていた?
阪神大震災では孤独死が多発・・・
その為中越地震対策として地域ごとの仮設住宅入居
これは教訓が活かされていた!!
集会所でのボランティアだったので
そこの様子は??
井戸端会議!!自然に人が集まって話しあい
いつの間にか消え去って
その繰り返し
山古志は順応している
阪神の時の違いはそこに有ると??
知らない人への気配り
精神的にかなりの疲労がある上
プラスでの疲労。。。
コミュニケーション
だから
10年前のあの悲痛な姿を新潟では見かけない?
子供達の元気いっぱいの姿はほほえましい限りだった
震災の悲痛差は目に入ってくる光景がモノをいう??
山古志の方々の元気はそこに有るのだと?
いろんな地域でこれから地震は多発するだろう
都会と田舎の被害の状況はかなりの規模で違ってくるだろうが
約10年経っての中越地震は
阪神大震災の教訓が活かされていたのは
極々僅かに過ぎなと思えてしまった
やはりまさか山古志に震災が??
これは神戸に震災が起こった時と同じ言葉!
対策もしっかりと国挙げて行なっていたはずだが
経費の無駄使いだったような気がして?
危機感がやはりなくなっていた
これはきっと阪神大震災を経験した人々もいえる事だと思う
10年一昔?? もう忘れかけていたような感覚だったのだと
しかし 世界中が荒れ始めている今日この頃
今一度危機管理を見直さなければいけない時だと
そう思わずにはいられなかった!!